無芸大食・読書亡羊~美味しいものと本と旅~

美味しいものと本と旅が至福であり、生きがい。インスタ映えや星の数じゃなく、自分がいいと思えたものとの出会いを綴ってゆきたいです

取りあえず、一回吐き出しておこう

これ以上腹の中に言いたいことを溜めていると頭がおかしくなりそうなので、今感じているモヤモヤを一度ここに吐き出しておこう。
 
与党第一党政党として今回発言しているリーダーたち、及び支持者の言動を見るにつけ、ズレまくりの発言・緊迫感が感じられない悠長な考え方に、ふと思ってしまう。もしやこの人たちは異次元で生きているのか?と。「ホントにピンチだってわかってる?」と問いかけたい場面が多すぎて、肌感覚での事態の受け止め方の違い、彼らの想像力の貧困さに天を仰ぐ日々だ。
 
彼らは「国民」とは、実体のない概念だと考えているんじゃないか?「社会」とは、日々懸命に生活を送り、血肉と感情を持つ人間という生命体の営みで構成されているものだという意識があるんだろうか?それとも、もはや彼ら自身が生物学的人間ではなくロボットか異星人なんだろうか?
 
そんな突拍子もない思いが浮かぶほど、血の通っていない、ちぐはぐな言動が目につく。想像力に欠けた言動と対策、それらが引き起こす無慈悲な状況に、デフォルメされた風刺小説やSF映画に登場する「冷酷で狡猾なリーダーとその軍団」を見ているような既視感を覚え、薄ら寒さを感じるのだ。
 
今回のCOVID-19の流行は世界的な事象であり、人種・ジェンダー・年齢・宗教・職種・身体的差異・思想・社会的ステータスや生活水準の隔たりなく、誰もが感染する恐れがあるという点において「全人類」が直面している一大事だ。そんな状況下でも、貯蓄に備えたり生活水準を上げる努力をしてこなかったあなたが悪い的な自業自得論や、この期に及んでまだ国籍の違いや職業差別を持ち出す緊張感のなさに驚く。小さな差異にとらわれている間にも命や明日の生活を脅かされる人がたくさんいるのに、大事に直面してさえいちいちカテゴライズして他人にレッテルを貼らずにはいられない排他主義の根深さにも慄く。
 
私はこれまでこの国で、あらゆる税金を一度も欠かさず納めてきた。留学中で国外にいた時や離職中だって、支払期間猶予申請の後にきちんと納めた。搾取されているのではなく義務だと考えて税金を払ってきたのは、病気・怪我や失職などの命や日常生活の危機に陥った時に「私も含めた誰もが」安心に暮らすための必要投資だと考えていたからだ。私が困っているときにはそのお金で助けてほしい。その代わり、私が困っていない時はそのお金で誰かを助けてほしい、と考えているからだ。
 
幸いなことに、今日現在ひとまず罹患しておらず、比較的気に入っている職を失することなく、在宅勤務しながら生活を維持できている。それは本当にたまたまだ。ウイルスという流れ弾に当たらないように自衛出来るのは、たまたま今そういう環境にいられるからだ。過去には無職も休職も、ブラック企業勤務も、交通事故での入院も、過酷な親の介護も経験している。無職や休業対象職なら明日の生活に頭を抱え、ブラック企業なら罹患の不安を抱えながら勤務し、入院中なら院内感染、介護中なら親に感染させる恐怖に脅えていただろう。今困っている人たちの状況は、私も十分にあり得た状況だし、この先も起こりえる状況なのだ。
 
だから今はどうか!!苦しい状況下の人のために税金を使ってほしいと心から願う。職業倫理のため・住む家を確保し生活の糧を得るために、罹患する恐怖を抱えながら仕事に向かう人。収入を絶たれて愛する仕事を手放す不安を抱える人。従業員に罹患させないよう休業を選択した人。反対に、従業員の生活のために業務継続を決断した人。自宅待機が生命の危機に繋がってしまう家庭環境の人。自分と周りの命と生活を考えて決断した結果、それらが脅かされる人々を支えてほしい。今この瞬間にも命や生活の危機にさらされている人の耳に、経済危機を憂う発言なんて入れてほしくない。
 
先が見えないことは一番つらい。コロナ収束の予想がつかないならば、それ以外の不安をひとつずつ消していく対策を講じてほしい。今すぐどうにか出来ないというならば、いつまで頑張って持ちこたえれば安全な場所に辿り着けるのか、出口へ導びく道を示してあげてほしい。
 
救命救急士のトリアージのように、緊急度の高さに優先順位をつけて治療が出来れば最良だが、それが出来ないのならまず誰もが一律給付してほしい。困っていない人にも行き渡るのが平等ではないというならば、給付金額100%を近所の医療・介護・保護施設等に寄付したっていい。いや、むしろそうしたいぐらいだ。貯蓄されるのが心配だなんて財務大臣が言ってるが、大丈夫、頑張ってくれているお店にちゃんと還元するし、もちろん収束したら今我慢している反動で、大好きな旅行だって再開するし、買い物だって出掛けるよ!のびのびとやりたいことが出来る環境の有難さを満喫すべく、バンバンお金使う、なんなら誓約書書くからさぁ…!ぐらいの気持ちでいっぱいだ。
 
しかし、そもそもあなた自身からお金を恵んでもらうわけじゃないんだから、本来その用途に口出しされる謂れはない。私が選挙権を手にして以来毎回選挙投票を欠かさないのは、私の払った税金もその一部となる財源を「どうぞ好きに使ってね♩」なんて言えるほど、寛大でも裕福でもないからだ。自分の投資の使い道を選ぶ権利を放棄するほどおめでたくないので「私が考える正しく適切な用途」にもっとも近い判断をしてくれるであろう立候補者を選んでるだけだ。言いたいことは色々あるが、今はそんな議論よりも、目の前で溺れそうになっている人の救済が第一だ。
 
持てるもので出来ることを精一杯やって日々凌いでいる人はたくさんいる。溺れないように懸命に立ち泳ぎしながら救助を待っている人も、溺れている人を引き揚げようと差し伸べられている手も数多ある。しかし、今の首相と周辺の人たちに対しては「目の前で溺れている人の流れを、対岸でパーティーをしながら高みの見物をしている」イメージしか浮かばない。要救助者を救い上げるための大きな網を有し、出動させるための権限を持っているのに、決して手を動かさない、というイメージだ。そうではないと信じたいが、残念ながら、コロナ以前の発言や、同じ状況下で指揮を執る他国のリーダーの様子と比べると、今はとても無理だ…。
 
私は彼らを善良なスーパーヒーローだとも、卓越したエリートだとも思っていない。彼らは私たちと同じ地続きに暮らす人間で、職業として国の舵取りを担っているに過ぎない。でも、ひとつの国のリーダーを自負し、その責務を果たす覚悟で職に就いたのならば、零細企業じゃないんだから、半径1m以内にいる家族や仕事仲間だけでなく同じ地に暮らす人々全員への信頼を勝ち取り、彼らのために注力する努力を怠ってほしくない。
 
私たちと何ら変わりない完璧な人間じゃないからこそ、仕事上でのヒューマンエラーや判断ミスだって犯すだろう。そんな時の解決方法だって、もちろん私たちと同じだ。潔くミスを認め、失敗の原因を探り、他人(国民や世界の人々)の声に耳を傾け、過去の事例に学び、再トライするのだ。今日、世界中の人々が試行錯誤しながら問題に取り組み、何かしらの対策を講じ、実践している。失敗例を避けて成功事例に学ぶ真摯な気持ちさえあれば、効率的で有効な対処の道筋は見えているのではないか。今なら模倣や後追い大歓迎だ。
 
どうかどうか、困っている人たちのために、高潔な志のもと、慈悲深いリーダーシップを発揮し、迅速な行動を起こしてくれることを切に願う。こんなこと☝書いてたけど、その後めざましい政策があって、みんな救われた!ありがとう!とリーダーを称える日が来る奇跡を願っている。