無芸大食・読書亡羊~美味しいものと本と旅~

美味しいものと本と旅が至福であり、生きがい。インスタ映えや星の数じゃなく、自分がいいと思えたものとの出会いを綴ってゆきたいです

ここは私たちのいない場所(白石一文)~読後所感~

※あくまでも個人的な感想です。一部作品のあらすじやテーマに触れている箇所があります。
まだこの本を読まれていない方は、以下記述に目を通される際にはどうぞご留意ください。

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ここは私たちのいない場所
白石 一文
新潮社
2015-09-30


主人公の芹澤は大手食品メーカー役員でしたが、部下の不祥事に端を発し、辞職を決意。独身で、当面の貯蓄もあり、特に喪うものもない芹澤は、あっさりと仕事を手放し、自由気ままな生活をスタートします。部下の不祥事の関係者である珠美という女性と、つかず離れずの距離を保ちながら過ごす日常の中で、芹澤は幼い頃に亡くなった妹の死を悼み、病死した大学時代の親友との思い出を反芻し、彼が選んで持たずにきたものと、喪ったものについて思いを巡らします。「人と共に生きても、人間は決して強くはなれない」と考えてきた彼は…。

本書では「喪うもの」と「持たないこと」に対する考え方が大きなテーマとなっています。芹澤は幼い頃に妹の突然死に直面しており、そこで味わったやりきれない悲しみは、彼の人格形成に大きな影響を与えていて「人間が死ぬという事実そのもの」を「知らないままの方が」、たとえ相手が死んでしまっても、その相手と自分が存在する世界に「ずっと居続けることができたのだ」という独特の死生観を持っています。彼の持論では、死者は自分の認識している世界から「いなくなった」だけで、「彼らと会ったり話したりすること」はできないけれど、「死が曖昧なもののままであるとしたら、私たちは死の恐怖から解放され」、「死の恐怖の希薄な世界に殺戮や戦争は根付かない」というのです。

また、「他人の世話をするのが面倒」として意識的に所帯を持たない芹澤は、「この世界で最大の尊崇を集めている」釈尊とキリストが、「性交渉を拒絶し、人類の存続を全否定している」ことに深い疑問を抱いています。また、赤ん坊を見ても、その子が「自分と同じ世界にいるという感覚がどうしても持て」ず、子供のいる世界と、子供と無縁でいる世界の違いを、自問自答するのです。

白石一文さんの作品は、世俗的なエピソードの中に、厭世的な思想や哲学的な問いかけが挟み込まれていて、いつもその不思議なバランスに戸惑いを覚えてしまいます。本書でも、芹澤が色仕掛けの策略にまんまと嵌って、会社を辞める羽目になる俗っぽい部分と、存在するものとしないものについて果てしなく思考を巡らす部分が、同じ目線で淡々と語られていることに、不思議な感覚を抱きました。

また、私にとっては、白石さんの作品はどれも意図が読み取りにくく、正直苦手なタイプ。が、作品中の問いかけや思想に対しては、実は密かに共鳴する点も多く、しかも自分がこっそりと(しかし漠然と)考えていたことを暴露されたようで、何とはなしにバツの悪い思いをすることが多いのでした。もしかしたら、私はそんな露悪趣味に浸りたくて、白石さんの作品を次々と手に取ってしまうのかもしれません。

本書においても、主人公芹澤の死生観や、仕事や子供など「命綱」があってこその生き甲斐、というかつての恋人の言葉がしっくりと来ていない芹澤に対して思うところがあり、無自覚だった、己の深層心理を垣間見たような気持ちになりました。こういう思いがけない気づきを、思いがけない人から受け取る時、本との出会いの不思議さと、本を読むことの面白さをつくづく感じます。