無芸大食・読書亡羊~美味しいものと本と旅~

美味しいものと本と旅が至福であり、生きがい。インスタ映えや星の数じゃなく、自分がいいと思えたものとの出会いを綴ってゆきたいです

ハケンアニメ!(辻村深月)~読後所感~

※あくまでも個人的な感想です。一部作品のあらすじやテーマに触れている箇所があります。
まだこれらの本を読まれていない方は、以下記述に目を通される際にはどうぞご留意ください。

ハケンアニメ!
辻村 深月
マガジンハウス
2014-08-22


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ハケンとは、そのクールで一番のヒットを獲得、即ちワンクールを制する「覇権」の意。アニメ監督、プロデューサー、アニメーター、故郷に聖地巡礼の観光客を呼び込もうと奮闘する公務員らが登場する、アニメ業界を舞台にした小説です。業界事情や職業あるある満載のストーリーはアニメに疎い私でも面白く、アニメを心から愛する登場人物たちの情熱に共感を覚える内容ですが、本のPRコピーのような「熱血お仕事小説」では終わらない深いテーマを感じました。

その一つは、本当に心から愛せるものは、人が生きていく原動力になり得るということ。「一人で出来る楽しみを」持つアニメファンを「バカにする」世間に対して、アニメ監督はこう言い放ちます。人生にはイジメほど深刻な事態にまで陥らないけれど、世間から浮いてしまったり疎外感を覚えるような一瞬が「確実にあり」、アニメは「その現実に溺れそうになったときに生き抜く力の一部」なのだと。
 
どうしようもない生きづらさを感じたり、心が折れそうになった時に、生きるよすがとなるのは、何も「ヒト」だけではないと思うのです。人との絆はもちろん大切だし、家族や恋人、友人など愛する人たちは、生きていく上で欠かせない大切な存在ではあるけれど、結局自分が直面している現実に立ち向かえるのは自分だけ、人はやはり最後は皆一人です。
 
孤独や別離の辛ささえ乗り越える原動力となり、一人の自分を支える支柱となるのは、時を忘れるほど夢中になれる「何か」、寝食を惜しんでもしたい「何か」なのだと思います。自分の心の中に根を張ったものは、誰にも奪われることはないのです。私の場合は、本の世界がそれ。他者との触れ合いによってもたらされるものとは全く別の、自分だけの心の拠り所があることで、どれほど自分が救われ、慰められ、力を与えられたことでしょう。

この作品では、「アニメファン」や「オタク」が、バイアスがかかった目で世間から見られがちな趣味や嗜好であることに対して、登場人物たちに何度も「アニメを愛している」と声高に宣言させています。清々しいほど真っ直ぐに「好きだという気持ち」を語らせ、実際に、彼らが愛するアニメが、彼らを突き動かす原動力となるストーリーを展開してみせています。これは筆者が読者に向けて、君の中にある「こんなにも愛する何か」は君が生き抜くために必要なもの、だから世間から何と言われようと「好きな気持ち」を恥じて捨ててはいけない、というメッセージのように感じました。

アニメでもアイドルでもゲームでもスポーツでもいい、「こんなにも愛する何か」が自分の中にあれば、他者に馬鹿にされたって絶望を感じそうになったって、必ずそれは自分を支えてくれます。他者を気にしたり、陥れたり、傷つけたりするような、くだらない考えさえ入り込む余地がないくらい熱中できる「何か」があれば、人は自由で幸せになれるのだと、この作品を読んでそんな思いが一層強くなりました。

一方で、辻村さんはアニメファン側における、世間に対するバイアスについても糾弾してみせます。アニメーターの女性が、聖地巡礼として故郷にファンを呼び込むために奔走する、アニメに疎い公務員を「リア充め」と揶揄するのです。地元の友人に囲まれ、屈託なく毎日を送る「アニメを含むフィクションの物語を必要としない」彼を、自分とは別次元の人間としてカテゴライズしてしまうのですが、紆余曲折あり、彼女は自分の思い上がりに気がつきます。「理解できない相手のことが怖いから、仰ぎ見るふりをして、この人を突き放して、下に見ていた。自分は非リアで、充実した青春も恋愛にも恵まれてないんだから、これくらいのことを思う権利がある、と勝手に思っていた」んだと。

アニメーターの彼女が感じた「リア充め」という思いは、合わせ鏡の如く「非リアめ」と感じる人間もいることを指します。些細なことのようですが、突き詰めて考えるとこれは本当にこわい感情です。こんなふうに、理解の及ばない相手に何かしらのレッテルを貼って揶揄するのは、理解できない相手のことが怖いから、そして名前をつけて見下げてしまえば安心できるから。相手を卑下することで無理矢理ねじ伏せた不安は、そのうち自分を脅かす脅威に変わり、そこからヘイトスピーチや、差別や、戦争を始める理由なんかにこじつけていってしまうのです、きっと。
 
世の中には自分と100%同じ人などいないことを知っているはずなのに、私たちは、自分、あるいはマジョリティの考えや感じ方との「差異」に対して、なぜこうも不安を覚えるのでしょう。私たちは全知全能でもなく、他人のことを100%理解するなんて絶対に出来ない。ちっぽけな個人の理解の範疇なんて、どれほどのものだというのでしょう。相手を理解したい、理解しようと努める姿勢は大事だけれど、何でもかんでも自分の知識や尺度の及ぶ範囲に収めようとするのは傲慢です。「理解が及ばない」存在をを認め、それを良しとすることで、初めてお互いに歩み寄れるのではないかと思うのです。

この作品でも、「アニメ」という垣根を前に、垣根の向こう側の相手を鼻から「違う世界の人」と決めつけ、コミュニケーションさえ放棄する人たちも描かれています。けれど最後には、その垣根が存在することを前提に、力で以て垣根を壊さずとも双方が手を取り合って事を成し遂げてゆく、しなやかな結末にとても救われる思いがしました。

辻村さんの作品には、いつも大いに心をかき乱されます。滑らかで読みやすい文章や、緩急ある物語の展開に夢中になっているうちに、自分の中に漠然と感じていた名前のつけられないモヤモヤした感情や、世間と自分の間に横たわる拭いきれないズレが、いくつかの印象深い文章によって、くっきりと明文化されいていることに気がつくのです。
 
今回も「私が感じていた違和感はこれだったんだ!」と視界が開けた気持ちになるも、その違和感を抱えたまま知らんぷりしていた自分にバツの悪い思いを抱きました。アニメ業界でのお仕事小説的要素などのエンタテイメント性もきちんと備えながら、さらりとエグい部分を心に残す、本当に食えない作家さんです。この本も、タイトルから装丁から「アニメ」色を強く打ち出していてバイアスだらけなのだけど、それらをひらりと飛び越えて読者にメッセージを届けたいと願う、筆者の静かな自信と情熱を感じたのは、私の穿ち過ぎでしょうか。

辻村深月さんの他作品に関する読後所感
「盲目的な恋と友情」