無芸大食・読書亡羊~美味しいものと本と旅~

美味しいものと本と旅が至福であり、生きがい。インスタ映えや星の数じゃなく、自分がいいと思えたものとの出会いを綴ってゆきたいです

彼は秘密の女ともだち / Une nouvelle amie~鑑賞後感~

※あくまでも個人的な感想です。一部作品のあらすじやテーマに触れている箇所がありますので、
まだこの映画をご覧になっていない方は、以下記述に目を通される際にはどうぞご留意ください。

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公式サイト

フランソワ・オゾン監督作品。亡くなった親友の夫・ダヴィッドと、生まれて間もない娘の様子を見るために家を訪ねた主人公のクレールは、彼が女装をして娘をあやす姿を目撃してしまいます。亡き親友も了承済みだったという彼の女装癖の秘密を共有することになったクレールは、女装したダヴィッドに「ヴィルジニア」という女性名を命名し、次第に女友達同士のごとく絆を深めていくのですが…。

漠然とフランスはセクシャル・マイノリティに対する認知度が高い国というイメージを持っていたので、ダヴィッドの女装癖に対する世間の目が厳しいものとして捉えられていることに驚きました。クレールの夫にダヴィッドの秘密がバレそうになるシーンでは、女装に関しては伏せたまま「ゲイである」という護摩化し方をするのですが、こういった価値観が、彼らの住む地域性によるものなのか、(経済的に恵まれているように見える)所得階層によるものなのかはわかりません。ただ、彼の国では同性婚は合法であるものの反対派もまだ多数いるようで、ゲイであれ女装家であれ、全員が皆大手を振って歩ける風潮というわけではないのかもしれません。

美しく着飾るダヴィッド=ヴィルジニアの姿に触発されて、ボーイッシュなスタイルを持っていたクレールも次第に女らしさを意識し、あたかも「女ともだち」同士でショッピングを楽しんだりするのですが、あくまでもダヴィッドは女装が好きなだけであって、身体は男性であり、性愛対象は女性。危うい均衡を保ちながら進むクレールとダヴィッドの関係を見守るこちら側も、彼らのメンタリティとフィジカリティがごっちゃになってしまいます。しかし、その混乱こそがこの映画のテーマでもあるのではないかと思います。

鑑賞後にまず頭に浮かんだのは、先日読んだ本に書かれていた「ものの区別は存在するが、そこの価値判断をはさまない。」という印象的な言葉です。私たちヒトは身体的特徴によって男女という区別を有するけれど、そこに優劣や強弱といった価値判断は存在せず、身体的区別による絶対的なセクシャリティだってないのだと言えます。

女性としてくくられたヒトには「女性らしさ」や「母性」といった性質が元来備わっているように言われますが、この作品でもっとも印象的だったのは、美しく髪を巻き、布ずれの音が聞こえるようなしなやかなドレスに身を包んだ女装したダヴィッド(ロマン・デュリスが素晴らしい!)が、まるでマリア像のような優しく温かい笑みを浮かべて幼い娘をあやしているシーンでした。その限りない慈愛に満ち溢れた様を「女性らしさ」や「母性」だと定義するのであれば、性の如何に関わらずヒトとして備え得るものだと確信しました。

そしてこの映画ではもうひとつ、身だしなみを整えて美しく装うことの楽しさ、それによって高揚する気持ちの良さを改めて思い出しました。いみじくも、ダヴィッドが「自分らしくいられる」と美しく装っている姿がとても心地良いと語る姿を見て、無精者の私でさえ、もう少し髪を伸ばして、新しい口紅かマニキュアを一本買おうかなという気分になりました。