無芸大食・読書亡羊~美味しいものと本と旅~

美味しいものと本と旅が至福であり、生きがい。インスタ映えや星の数じゃなく、自分がいいと思えたものとの出会いを綴ってゆきたいです

運転、見合わせ中(畑野智美)~読後所感~

※あくまでも個人的な感想です。一部作品のあらすじやテーマに触れている箇所があります。
まだこの本を読まれていない方は、以下記述に目を通される際にはどうぞご留意ください。

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朝のラッシュの時間帯に電車が停止し、「運転見合わせ中」状態に遭遇した大学生、フリーター、デザイナー、OL、引きこもり、そして駅員。思いがけないアクシデントによって、日常にちょっとだけさざ波が立ち、いつもと違う一日を送ることになった彼らが、ふと自分のこれまでとこれからに思いを馳せていく…という短編連作集です。

いつもの駅から決まった時間に乗車すれば、決められた時間通りに動いて目的地まで運んでくれる電車。それを利用する彼らは、惰性にも似た日常の繰り返しに鈍感になることで現実に目を背けていますが、「いつも通りに動かなくなった電車」が利用出来なくなることで、「いつも通りにこなせるはずの日常」に亀裂が生じ、普段は思考停止させている思いが次々に現れてくる、という設定を非常に面白く読みました。

また、打算や野心や抜け目なさも併せ持つ各章の登場人物たちのキャラクターも等身大で、普段通りの日常に戻る「運転再開」までの間に、彼らの心に浮かんでは消える不安や希望、葛藤や逡巡にも大いに共感しました。何よりも好感が持てたのが、最終的に辿り着く着地点が「がんばって生きていこう」といった単純なものではなく、何となくくすぶっている思いにちょっと風穴が開いたような小さな変化である、という視点のリアルさでした。人生はドラマのようにある日突然劇的には変わるものではないけど、ほんのちょっとずつ思考を進めることで生まれる小さな変化が、いつしか次第に流れを変えていくものだと思います。

ただ、短編連作なだけに起承転結の転→結までの描かれ方が短く、彼らの気持ちが着地するまでの心の動きがやや性急な印象で、その唐突な心境の変化は一体どういう…?と感じた部分もありました。そしてもう1点、これはもう本当に好みの問題ですが、イラスト多用の装丁が興ざめでした。なぜか皆幼く無表情な登場人物たちのイラストは、作品のリアルな空気感と相容れず、私にはちぐはぐな印象に映りました。紙媒体の著作品は装丁や字体も含めてひとつの作品だと思うので、ここだけは残念に感じます。

忙しない日々の中、私たちは移動時間さえ惜しみ、片時もスマホから目を離さず、何かを調べたり誰かとつながったりしてばかりです。電車から見える風景が瞬時に後ろへ流れ去っていくように、ともすればふと芽生えた思いさえも、時間と共にいつのまにか流れていってしまいます。心のどこかで気にかかっていながらも、ふだんは目を背けているような思いと向き合うためにも、私たちの人生にも、時おり「運転、見合わせ中」のひとときが必要なのかもしれない、と考えさせられる作品でした。