無芸大食・読書亡羊~美味しいものと本と旅~

美味しいものと本と旅が至福であり、生きがい。インスタ映えや星の数じゃなく、自分がいいと思えたものとの出会いを綴ってゆきたいです

オールド・テロリスト(村上龍)~読後所感~

※あくまでも個人的な感想です。一部作品のあらすじやテーマに触れている箇所があります。
まだこの本を読まれていない方は、以下記述に目を通される際にはどうぞご留意ください。

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仕事を失い、妻子に逃げられてすっかり落ちぶれた元フリー記者が、眉唾もののテロ予告を受けた大手出版社を通して、取材の依頼を引き受けるところからストーリーが始まります。予告犯が、名指しで彼を記者として指名しているというのです。話半分でテロの予告現場を訪れた彼は、それから次々と起こる出来事に巻き込まれ…というあらすじです。

表紙挿画の雰囲気につられて気楽に読み始めると、ガツンと脳天を叩き割られたようなショックを受け、その後も息もつかせぬ衝撃の数々に見舞われます。タイトルの通り、無力感が蔓延した国の行方を憂う後期高齢者たちが、日本全体を焼け野原の廃墟にして出直すべきだとテロを画策する集団たちが描かれるのですが、エンタテイメント的な要素は全くありません。絵空事でもなく、希望的観測も排除され、粛々とプランが進められる展開に、不気味なほどのリアリティを感じ、息苦しい思いにとらわれました。

なぜこの物語をフィクションとして感じられないのだろう、と考えてみました。それは、「まさか自分の身の回りでテロなんか起こるはずがない」とタカをくくっている日本人ならば、もしこんな計画が秘密裏に進められていてもきっと気づくまい、と思わせる説得力に満ちた作品だからなのでした。この世に戦争やテロという行為が実在することを知りながら、同じことが自分の身に起きるかも、と考える想像力の欠如、そして危機感の薄さを、筆者になり代わったテロリストの老人たちが、巧みに突いて来るのです。

戦争やテロの卑劣な行為に対する反発や憎悪は感じていても、やはりどこか「対岸の火事」といった気持ちから抜け出せていないのは、「見たくないものは見ない、知りたくないものは知ろうとしない」という意識だけではなく、知識や想像力の限界ということでもあるのでしょう。私たちはきっと、あまりにも知らなさ過ぎるのです。

しかし、戦争や空襲などで極限の地獄を目の当たりにしながら生き抜いてきた老人たちにとっては、テロ行為は既視感を伴うリアルに映ることでしょう。たとえば、私が今日すれ違ったお年寄りは、いかにも平和な日常を送っているような柔和な表情でしたが、人に説明できないほどの修羅場をくぐり抜けて来た世代であってもおかしくない、という当然の可能性を忘れかけていました。自然災害ではなく、誰かの手によって、ある日自分の生がいともたやすく破壊されることなど夢にも思わない私たちとは、想像力や危機感の大きさが異なっていて当然です。

何の謂れもない人々が巻き込まれる、想像を超える凄惨なテロ現場の様子、生体システムに近いアメーバ型の小隊で活動するアルカイダ型のテロリズム組織のしくみ、秋葉原事件に代表される、無力感から一転して突発的に周囲の人を殺す「トツキリ」心理に至るまでの経緯、実際にテロ事件が起きた後に人々が苛まれるであろう果てない不安と疑心暗鬼、そしてテロを計画・実行するまでの強いモチベーション維持のため、必要とされる静かな怒りの正体…この作品では、テロにまつわる様々な事柄が詳らかに綴られています。
 
様々な事実に肉薄するほどに、テロ行為の恐ろしさ・忌むべきものという認識が強くなる一方で、テロリズムに至る心理や経緯の一部については、納得してしまう自分に激しく戸惑いました。作品中でも、主人公である元フリー記者が、同じようにテロリストたちにシンパシーを感じる我が身に当惑します。それは、彼らのテロ行為の出発点が、閉塞感や不安感が拭えない社会に対する思いや、この環境や社会をどうにかしたいという、現状打破への切実な思いだからなのでしょう。

社会生活に疲弊し、不安感が拭えない若者たちが、スタート地点で共鳴してしまったがゆえに、やがて破壊行為を現状打破の手段とする集団に感化されても不思議ではありません。それこそが、人間が引き起こすテロや戦争の真の恐ろしさなのかもしれません。

作品の終盤では、人を食ったような表紙挿画にやっと合点がいきます。筆者は決して「オールド・テロリスト」たちを英雄として描いてはいませんが、ラストはどこか物悲しく、釈然としない思いが残る締めくくり方です。胸中に残ったそのモヤモヤこそが、直視すべきものから目を逸らし続けてきた私たちへの問いかけであり、私たちに与えられた、この国の未来についての課題なのではないかと感じました。