無芸大食・読書亡羊~美味しいものと本と旅~

美味しいものと本と旅が至福であり、生きがい。インスタ映えや星の数じゃなく、自分がいいと思えたものとの出会いを綴ってゆきたいです

朗読者(ベルンハルト・シュリンク/ 松永美穂訳)~読後所感~

※あくまでも個人的な感想です。一部作品のあらすじやテーマに触れている箇所があります。
まだこの本を読まれていない方は、以下記述に目を通される際にはどうぞご留意下さい。

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朗読者 (新潮文庫)
ベルンハルト シュリンク
新潮社
2003-05-28


映画「愛を読むひと」が、素晴らしい作品だったことは別述しましたが、原作を読んでみたくなって、手にとりました。

当然ながら映画同様、ミヒャエル(映画は英語読みでしたが、原作はもちろんドイツ語読み)とハンナの恋愛が描かれてはいるのですが、原作では、ナチズムという大きな過ちを犯したドイツという国で、連合国ではなくドイツ人自らの手で戦争犯罪裁判が行われた1960年代頃の、当時の人々の苦悩が浮かび上がってくる点が、最も印象的でした。

自分たちの親世代が、ユダヤ人絶滅という恐ろしい計画を立てた加害者側にいたことで感じる「驚愕と恥と罪」、自らに咎はなくとも、過去の過ちにより自分がドイツ人であることを誇りに思えない状況の中で、どうやって歴史と対峙すれば良いのかという、加害国だからこその問いかけは非常に重く、そのことにミヒャエル自身も苦悩する様子が描かれています。もしも自分の親が、戦時中に思想的とはいえ殺戮行為に加担していたとしたら…という仮定は、想像を絶します。

「感覚が麻痺することで生命の機能は縮小し、その人の態度は無関心で思いやりのないものとなり、ガス室での殺人や死体焼却も日常茶飯事となった」戦時中、「加害者自らも、限定されたいくつかの機能を果たし、無思慮で無関心な態度や鈍さにおいて、麻酔をかけられたか酔っぱらった様子」で、収容所の人々は、看守も囚人も皆麻痺状態であったと綴られています。

映画では、戦争という異常な状況下で行われたハンナたち女性看守の行為は許されるべきものなのか、という裁判を通して、罪を認めながらもひた隠しにしていたハンナの秘密、そしてそれを守り抜きながら育んでいくマイケルとハンナの心の交流に焦点が当てられていましたが、原作では、「その後のドイツ」の戸惑いや苦しみという、私にとっては思いがけない視点で描かれていることで、映画鑑賞後とはまた違った読後感を味わいました。

戦時中の行為を恥ずべきものとして歴史教育を行うドイツの潔さに感服すると同時に、負の遺産として引き継がれた戦争の歴史が、世代を超えて深い深い影を落とすことに、改めて戦争がいかに忌わしいものであるかを痛感しました。