無芸大食・読書亡羊~美味しいものと本と旅~

美味しいものと本と旅が至福であり、生きがい。インスタ映えや星の数じゃなく、自分がいいと思えたものとの出会いを綴ってゆきたいです

竈河岸 髪結い伊三次捕物余話(宇江佐真理)~読後所感~

※あくまでも個人的な感想です。一部作品のあらすじやテーマに触れている箇所があります。
まだこの本を読まれていない方は、以下記述に目を通される際にはどうぞご留意ください。

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母娘揃って宇江佐真理さんの愛読者なので、今月始めに宇江佐さんの訃報が報じられるや否や、母が電話をかけてきました。「もう宇江佐さんの作品は、読めなくなっちゃうんだね…」。文藝春秋に掲載された闘病記にも目を通していて、乳癌の全身転移は知っていたのですが、どうにも無念でなりません。

本作は、短編連作髪結い伊三次シリーズの、最後の作品となりました。思えば、このシリーズの第一作「幻の声」が、宇江佐さんのデビュー作であり、この作品を機に、私たち親子は宇江佐ファンになったのでした。宇江佐さんは、遅いデビューながらも多作家で、映画化された雷桜」、直木賞候補になった「斬られ権佐」などの単作も数多く生み出していて、新刊が出るたびに、母と報せ合いながら読んできました。
 




シリーズものとして最も長い、伊三次の物語は、最近では伊三次本人よりも、彼の家族や周りの人々を中心に据えた短編連作が多くなってきており、今回も、彼が仕える同心・不破家の嫡男、龍之進と彼の嫁である「きい」、妹の茜、そして、伊三次の息子・伊与太らの視点で語られる短編で構成されています。かつては、伊三次とお文の、惚れたはれたのやりとりもあったこのシリーズは、今や脈々と続く家族の物語であり、息子や娘らの成長記で、非常に感慨深いものを感じます。(私は、このシリーズの同心・不破の妻、いなみさんが、宇江佐さんの描くキャラクターでいちばん好きです。)

宇江佐さんの作品は、泣きの銀次シリーズも、エッセイ「ウエザ・リポート」も含め、全て読みました。多くが時代小説ですが、その一番の魅力は、江戸の市井の人々の逞しく生きる姿を、生き生きと鮮やかに描いていることです。とはいっても、単なる人情話や、勧善懲悪で終わる話とは無縁で、苛酷な暮らしで性格がねじくれてしまった人や、救いのないや悲惨な末路を辿る人、家族との間に遺恨を残す人などが登場し、真っ当な暮らしを営んでいる人たちにとっても、決して平坦な日常ばかりではありません。
 


そうした悲哀こもごもを含め、客観的・現実的な観点で江戸に暮らす人々を描いているからこそ、遥か昔の人々の生きざまが、ひどく身近に感じられるのでしょうし、人の心の移ろいや世の儚さへの無常感を感じながらも、真っ直ぐに顔を上げ、地に足を着け、人の情けを忘れずに生きてゆく人たちの姿に、美しさを感じるのかもしれません。

エッセイや、件の闘病記を拝読するにつけ、宇江佐さんと、彼女の小説に出てくる女性との類似点を感じます。気風が良く、骨惜しみせずくるくると立ち働き、包み込むような温かさで男たちを盛り立てながら、ここ一番の胆力は人一倍強い、肝が座った素敵な女性たちが多いのです。彼女らは、優柔不断やら短気やらと少々頼りない男性たちを、尻を叩いて激励するでなく、そっと支え、上手に事を進め、導いていく賢い女性たちでもあります。私自身、宇江佐作品に登場するおっかさんや姐さんたちの言葉に、どれほど慰められ、力づけられてきたことか。
 
宇江佐さんにとって、癌の転移も、闘病生活も、大変辛い現実だったことは想像に難くありませんが、宇江佐さんが生み出してきた女性たちのように、きっと冷静に受け止められ、ご自身よりも周囲を気遣いつつ、前を向いて、最期まで凛々しくあられたのではないかと想像します。

年老いていく伊三次とお文の先行きまで見届けたかったのですが、それがもう叶わないことに、言いようのない寂しさを感じながら読みました。けれど、デビュー作からずっと、リアルタイムで宇江佐さんの作品を読むことが出来た幸せを忘れずにいたいと思います。心よりご冥福をお祈りいたします。

宇江佐真理さんの他作品に関する読後所感
「擬宝珠のある橋」