無芸大食・読書亡羊~美味しいものと本と旅~

美味しいものと本と旅が至福であり、生きがい。インスタ映えや星の数じゃなく、自分がいいと思えたものとの出会いを綴ってゆきたいです

背中の記憶(長島有里枝)~読後所感~

※あくまでも個人的な感想です。一部作品のあらすじやテーマに触れている箇所があります。
まだこの本を読まれていない方は、以下記述に目を通される際にはどうぞご留意ください。

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写真家の長島有里枝さんのエッセイで、タイトルにもなっている「背中の記憶」はじめ、13章はどれも長島さんの家族と幼い頃の記憶を綴ったものですが、あとがきでご自身が「エッセイと呼ぶことに抵抗がある」と書いていらっしゃるように、これはもうエッセイではなく、「ある家族の物語」を描いた創作といって良いと思います。

本来よその家族の思い出話など、メランコリックに過ぎて、他人にとってはつまらないものに感じられるはずが、こんなにも近しく、親しみが湧くものに感じられるのは、五感の隅々まで神経を張り巡らせて刻み込まれた記憶の鮮やかさ、それをひとつも取りこぼすことなく、丁寧に丁寧に綴っている長島さんの筆致によるものでしょう。

大好きな祖母が暮らす家で、遊び飽きた筆者が眺める祖母の二の腕と肘の皺の質感や、全面切子模様の磨りガラスから差し込む日差しの柔らかさ。大嫌いだった保育園の、砂でざらざらしスノコの表面に触れる足の裏の気持ち悪い感触と、消毒液とトイレの匂いが混じった悪臭。偏屈で変わり者の叔父の大声。生まれたばかりのおとうとの、小さく握りしめた手の中の冷たく湿った感触。祖母の庭の手入れを手伝った時の、水を撒いた後の湿った土のいい匂い…。

こわいくらいの熱心さで筆者が見つめ、触れ、嗅ぎ、耳を澄ませて感じとってきた一瞬一瞬は、あたかも読者である私自身が体感してきたかのような錯覚を覚えるほどリアルで、この不思議な疑似体験が、自分の中でゆっくりと甘やかで切ない思い出に変わってゆくのを感じました。二度目に読み返したときは、この本に書かれている全ては確かに自分が通ってきた軌跡のように思え、その懐かしさに泣きたくなってしまったほどです。このなんとも摩訶不思議な読書体験を通して、本書は私にとって忘れられぬ、宝物のように大切な一冊となりました。