無芸大食・読書亡羊~美味しいものと本と旅~

美味しいものと本と旅が至福であり、生きがい。インスタ映えや星の数じゃなく、自分がいいと思えたものとの出会いを綴ってゆきたいです

終わった人(内館牧子)~読後所感~

※あくまでも個人的な感想です。一部作品のあらすじやテーマに触れている箇所があります。
まだこの本を読まれていない方は、以下記述に目を通される際にはどうぞご留意ください。

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物語は、主人公の田代壮介が定年を迎え、勤め先である大手銀行の子会社での最終出社日を終えるところから始まります。「定年って生前葬だな」と衝撃的な一言をつぶやく壮介は、東大入学を皮切りに、出世を狙って仕事に邁進してきた、典型的な団塊世代の企業戦士。「散り際千金」などと嘯くも、出世コースの梯子を外されて、不完全燃焼だったサラリーマン人生に未練たらたらです。

会社という絶対的だった居場所を失くした彼は、「ジジババ」が集うコミュニティに混ざりたくないとジム通いにも身が入らず、大学受験を思いついてみたり、カルチャーセンターの受付女性にときめいてみたり、とにかく働きたいのだとハローワークに行ってみたりと、舞い上がったり落ち込んだりの迷走の日々。年下の妻にも、うじうじとみっともない、叱られる始末です。

ある日、ジムの知り合いから思いがけない誘いを受け、壮介の単調な毎日が一転。思い描いていたような激動の日々に、深い充足感を味わい、幸せを感じる壮介。しかし、思いもよらない事態が起こり、平穏無事に過ぎてゆくはずだった壮介の定年後の人生が、大きく狂ってゆきます。壮介が最後に辿り着いた答えは…というあらすじです。

内館さんの小説らしく、疾走感溢れるストーリーで一気に読み終えてしまいました。先達たちを鑑みて、みっともなく現役にしがみつくのはやめよう、と「品格ある衰退」を頭では理解していても、趣味に生きるタイプではない壮介は、結局のところ、目標を掲げて達成したり課題をクリアしていくなど、勉強や仕事でしか達成感を得ることが出来ません。その上、現役時代に描いていたような出世が出来なかった壮介は、企業人としての人生自体に大いに未練があったのでした。彼の妻の従弟が、そんな彼を「成仏出来ていなかった」と称するのが、言い得て妙です。

壮介のようなタイプとは真逆の私は、叶うものなら今すぐと思うほど定年が楽しみな者ですが、しかし、そんな私でさえ、仕事をしている時の高揚感や、何事にも代えがたい充足感を覚えていた時期があるので、働く壮介の気持ちもわからなくもありません。結局のところ、老いや若きの年齢とは関係なく、何を以って幸せと感じるかは、人によって全く違うのだということでしょう。

けれども、個々の幸せの定義とは別の次元で、「いつまでも若々しく元気で」と生涯現役を謳う、今の風潮への違和感は拭えません。この物語では、団塊世代の男性が現役であろうと足掻く必死な姿が、おかしくも哀れを誘うのですが、いつまでも若く綺麗でいたいと必要以上にアンチエイジングが叫ばれている女性の世界にも、空恐ろしいものを感じることがあります。

健康でありたい、老けこみたくない、という気持ちはもちろん理解出来ますが、「いつまでも若い(若く見える)」ことが美徳とされ、老いてしまったら、あるいは、現役を退いてしまったら、何もかもが終わりかのような考え方が蔓延している限り、この先老いていゆく私たちは、老後への希望は見出せません。壮介のような人たちに対して、いつまでもジタバタと駆け回っていないで、どっしり構えてよ!分をわきまえて静かに身を引いた先に心の平安があるような、そんな老後を夢見させてよ!などと思ってしまうのは、バブルの恩恵に与っていない世代の僻みでしょうか…。

内館牧子さんの他作品に関する読後所感
「見なかった見なかった」