無芸大食・読書亡羊~美味しいものと本と旅~

美味しいものと本と旅が至福であり、生きがい。インスタ映えや星の数じゃなく、自分がいいと思えたものとの出会いを綴ってゆきたいです

笑うハーレキン(道尾秀介)~読後所感~

※あくまでも個人的な感想です。一部作品のあらすじやテーマに触れている箇所があります。
まだこの本を読まれていない方は、以下記述に目を通される際にはどうぞご留意ください。

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2013年に単行本版で読んだ作品の再読。主人公の東口は、10年も前に潰れた工場のスクラップ置き場で四人の仲間と暮らす、元家具職人のホームレス。幼い一人息子を事故で亡くし、妻とも離縁し、経営していた家具会社が倒産した末に行き着いた居場所で、携帯電話とトラック、長年使ってきた工具などの僅かな持ち物で方々を家具修理に回り、なんとか生計を立てています。ある日、彼のトラックの助手席に見知らぬ若い女性が忍び込んできます。家具職人の弟子にしてほしいと訴える女性・奈々恵に不審を抱く東口ですが、彼女もいつしかスクラップ置き場の仲間に。そんな中、近くを流れる川に死体らしきものが浮かび上がり…。

全てを失ってホームレスになった東口のトラックの助手席には、彼が「疫病神」と名付けた亡霊が座っており、東口の過去に潜む深い後悔と自責の念を常に呼び覚ましています。死んだ息子のビデオを何回も見返しながら、失意の底で生きる東口ですが、奈々恵との出会いや、ホームレス仲間に起きた事件をきっかけに、心の奥底にしまい込んでいた、彼が向き合うべき真実と、それを必死に覆い隠そうと仮面を被っていた己の姿を直視しようとします。誰もが皆 ---ホームレス仲間でさえ---「本当の自分たちの姿を正視したくないという思いから」ハーレキン(道化師)のような仮面を被り、「こうでありたいという自分を」演じている、という表現が印象的でした。

多かれ少なかれ、私たちはいろんな顔を持っています。会社、近所、家族、友達、恋人などに向けたそれは、本来決して「仮」の「面」などではなく、どれもが本当の自分の一面なはずなのですが、例えば外面良く見せようなどと邪念が入り、己を繕って演じ始めた途端に、それは本当の自分を隠す「仮面」になってしまうのかもしれません。そして本当に怖いのは、初めは相手に対して本当の自分を隠すためのであった仮面が、いつしか仮面をつけた本人の本心までも覆い隠してしまう仮面となり、自分で自分の本心が見えなくなってしまうことではないでしょうか。

仮面をつけた登場人物たちが、それを剥ぎ取るきっかけとなるのは、東口に届いた奇妙な家具の修理依頼です。この一件からラストまでの展開がやや唐突で、妙にエンターテイメント性が高く戸惑いますが、多くの謎に誘導されて、一気に読み終えてしまいます。ちょっと強引なこじつけもあるものの、最終的には色々な伏せんが全て回収され、衝撃的な事実が明らかになった上での読後感は、決して後味の悪いものではありませんでした。