無芸大食・読書亡羊~美味しいものと本と旅~

美味しいものと本と旅が至福であり、生きがい。インスタ映えや星の数じゃなく、自分がいいと思えたものとの出会いを綴ってゆきたいです

スキヤキ(いとうせいこう)~読後所感~

※あくまでも個人的な感想です。一部作品のあらすじやテーマに触れている箇所があります。
まだこの本を読まれていない方は、以下記述に目を通される際にはどうぞご留意ください。

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スキヤキ
いとう せいこう
1995-09


「本特集」を組んでいた雑誌の書評に興味をそそられ、手に取った一冊です。作家Sは、ある夜「スキヤキだ。それなしでは生きていけない」と天啓が降りたかのような閃きに従って、「スキヤキスト」として、仲間たちと全国各地のすき焼きを食べ歩く旅に出ます。しかし、Sにとっては、それは単なる食べ歩きではありません。カフカ「城」になぞらえたり、仮想敵への抵抗を試みたりと、留まるところを知らぬ妄想にふけりつつ、「スキヤキが答えであるような問いを」「引っ張り出す」ための、スキヤキ哲学ともいえる思想の旅なのでした。
 
東京の米久、江知勝、いし橋、三重の金谷や和田金など、今尚名店として名高いすき焼き専門店を訪ね歩き、関東・関西の調理法から「牛鍋」と「すき焼き」と呼び習わす違い、ザクの種別など、考察を重ねながら、極上すき焼きを堪能する面々。Sこと、いとうせいこうさんの心のつぶやきや、控えなツッコミを織り交ぜながらの文章は、単なるグルメエッセイとは一線を画していて、非常に面白く読みました。京都では綾辻行人さん、東京では宮部みゆきさん、と豪華なゲストが登場し、いとうせいこうさんとの3ショット写真が拝めるのも魅力です。

そして、当然、猛烈にすき焼きが食べたくなってしまうこと請け合いです。本書でも語られているのですが、私もすき焼きという料理自体に、ことさらノスタルジーや家族団欒を感じる世代ではありません。が、甘辛味をまとった桜色の肉を卵に絡めて頂く瞬間や、よく煮えた葱のとろりとした食感など、すき焼きの描写を読むほどに、口中に唾が湧くことを抑えられませんでした。本書を夜更けに読むのは厳禁と言えましょう。

本書は1995年に刊行されています。Sらスキヤキストたちの最後の旅は、阪神大震災後の神戸。様々な逡巡を抱きながらも、震災前に訪れていた店を再訪します。おりしも、彼らが神戸に向かったのは、あの忌まわしい地下鉄サリン事件の翌日。この年に、未曾有の大惨事が立て続けにふたつもおきていたことは私自身も体験しているはずなのに、ショックが大きくて時系列で記憶しておらず、このくだりを読んでしばし呆然としました。

こうして20年前に発刊された本の中から不意に現れるように、私たちを震撼させた災害や事件があったという事実は、決して消えることなく「そこにあるもの」なのだという思いを新たにし、日を置かずして歴史的な出来事があったこの年のことにも、改めて思いを馳せました。

Sたちが訪問した震災後のすき焼き店では、「肉を吊り下げていた倉庫」が「相当の被害」にあいましたが、お店の方たちはその肉を「炊き出し用に提供した」のだそうです。サリン事件が起きた東京から来たSたちは、お店の仲居さんから「東京の方も心配ですねえ」と声をかけられ、「天災に苦しめられている神戸の人たちは、他人を深く思いやることが日常になっているのだ」と感じます。そういったエピソードは東日本大震災の折にも事欠かず、苦境に立たされているにもかかわらず他者の存在も忘れない、人の芯の強さというものを感じます。そしていみじくもそれは、Sがラストで導き出す「スキヤキ哲学」の答えに通じているのでした。