無芸大食・読書亡羊~美味しいものと本と旅~

美味しいものと本と旅が至福であり、生きがい。インスタ映えや星の数じゃなく、自分がいいと思えたものとの出会いを綴ってゆきたいです

ネンレイズム / 開かれた食器棚(山崎ナオコーラ)~読後所感~

※あくまでも個人的な感想です。一部作品のあらすじやテーマに触れている箇所があります。
まだこの本を読まれていない方は、以下記述に目を通される際にはどうぞご留意ください。

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「ネンレイズム」に登場する「年齢愛好家」である村崎紫は、「年齢によって喚起される、その人らしさ」を追求し「その数字にふさわしい自分になるように努力する」ことによって「人は社会に馴染んでいくんだ」と考える18歳の高校生。自らの年齢を68歳と公表、おばあさんっぽいファッションに身を包み、一人称を「ワシ」とする紫とは反対に、「人は未来のために現在を生きているわけではないから」と、今に集中して生きたいと考える同級生・優香里、「性別に馴染むのも」「年を取るのも」自分のペースでゆっくりやりたいと語るスカート男子の加藤と共に、年齢や性別といったカテゴライズに疑問を投げかけていきます。

「開かれた食器棚」の主人公は、幼馴染の園子とカフェを経営する53歳の鮎美。染色体異常により成長がゆっくりな娘の菫を持つ鮎美は、かつては周りの目が気になり子供を守ることばかり考えていましたが、「ゆっくり、ゆっくりやればいいのよ。成功や達成を求めるより、過程で幸せにならなくっちゃ」と諭す園子たちのおかげで、菫も自身も幸福であることを実感します。そんな鮎美の幸せな「気づき」を語る一方で、本作では「高齢出産の危険性や、出生前診断などのリスク回避手段を知った上で、自らの意思で子供を生んだのだから、自分で何とかしろ」と言わんばかりの、親たちに「自己責任」を押し付ける社会風潮に疑問を投げかけています。

誤解を恐れずに言うならば、山崎ナオコーラさんは、相当面倒くさい人だと思うのです。社会の風潮として画一化された考え方に対する違和感に執拗にこだわり、細かく突き詰める姿勢は一貫していて、そのストイックさに思わず「うへえ」となることも。山崎さんの作品は、小説というよりも、哲学書じみているようにも感じます。けれど、多くの人が議論を避けてスルーしてしまう、些細に見えるけど実はとても大切な「面倒くさいこと」と真っ向から向き合って、答えを導き出し、山崎さん自身が信頼する「小説の力」を以って、自らの思想を詳らかにするその潔さや勇気を、尊敬もしています。

本書の2編の小説でも、カテゴライズの難しさや、「自己責任」の一言で弱者に困難を押し付ける風潮に、深く鋭く切り込んでいて、非常に興味深く読みました。もともと私も、すぐ区分けしたがる風潮にうんざりしている者なので、溜飲が下がる気持ちになる箇所も多々ありましたが、一方で、「今しかできないことというのは、そんなにも優先させるべきものなのでしょうか?」「相手を理解することよりも、相手の自由を守ることの方が、ずっと大事ですよ」など、示唆に富んだ何気ない言葉の数々にもドキッとさせられました。