無芸大食・読書亡羊~美味しいものと本と旅~

美味しいものと本と旅が至福であり、生きがい。インスタ映えや星の数じゃなく、自分がいいと思えたものとの出会いを綴ってゆきたいです

ガラパゴス 上・下巻(相場英雄)~読後所感~

※あくまでも個人的な感想です。一部作品のあらすじやテーマに触れている箇所があります。
まだこの本を読まれていない方は、以下記述に目を通される際にはどうぞご留意ください。

--------------------------------------------------------------------------------



震える牛の田川刑事が再び登場する作品です。同期の木幡に泣きつかれ、彼の身元不明者判明のノルマ達成を手伝うため、鑑識課身元不明相談室の資料をあたった田川は、自殺として処理された不明者死体が殺人であったことを突き止めます。粘り強い調査によって死体発見現場からメモを見つけ、早々に死体の身元判明に辿り着く田川。しかし、沖縄出身の派遣労働者だった彼がなぜ殺されたのか、その謎を探るうちに、巨大企業の陰謀と、「ふつうの暮らし」にさえ手が届かない非正規雇用労働者の凄まじい実態が明らかになります。行方不明者リスト902とナンバーが振られた男性の、一個人としての輪郭が浮かび上がるにつれて見えてきたのは、底なし沼のように深く深く横たわる社会の暗部の入口でもありました。
 
震える牛「共震」など骨太の社会派ミステリを描く相場英雄さんの最新作ですが、これまで以上に読み応えのある手に汗握る展開に、上下巻約600頁も苦にならず、一気に読み終えました。今の時点で、本書は間違いなく、私の中における相場作品ベスト1です。

本書では、利潤追求の行き過ぎで安全管理を逸脱する大企業、登録している派遣労働者を、人件費ではなく「外注加工費」という名目で「人以下」の如く扱う人材派遣業者、そして、世界的にはとっくに競争力を失っている大企業救済のため、付け焼刃的な一時措置で「粉飾まがいの景気対策」を進める政府など、様々な元凶が複雑に重なり合い、負のスパイラルを作り上げている様子が、手に取るように分かりやすく描写されています。しかし、現実はもっと複雑でしょうし、この事態を打破するためにどこから手をつけるべきか、解決すべき問題のあまりの多さに言葉を失います。

読んでいて強烈な既視感を覚えたのは、消費者金融の過剰融資と、多重債務者の実態をテーマにした、宮部みゆきさんの社会ミステリ火車でした。火車では、主人公の刑事本間が、自己破産に詳しい弁護士から消費者金融のレクチャを受ける際に、真面目な人ほど多重債務に陥るのだと聞いて、衝撃を受ける場面があります。それまで彼は、「多重債務を抱えるのは、やっぱり本人に何らかの欠陥や欠点があるからなのだ」と考えていたからです。

火車 (新潮文庫)
宮部 みゆき
新潮社
1998-01-30


ガラパゴスでも、当初派遣労働者に対して「どこか気楽で無責任なイメージ」を持っており、「仕事の選り好みをしていたのではないか」「いい歳して、甘えてるんじゃないのか」と考えていた田川でしたが、ある非正規雇用労働者の証言により、彼らの人格無視に等しい職場環境や、些細な躓きがホームレスや自殺にすらつながる労働実態を知り愕然とするのでした。両者の主人公の感情は、問題の根深さを知らず、無知であった私の驚きそのままでもありました。

両作品にもうひとつ共通するのは、被害者はもとより犯罪者も、巨大な社会の仕組みに呑みこまれ、抗うことのできなかった無力な若者たちであることです。大それた夢などなく、ただ真っ当に普通の暮らしを営みたかっただけの彼らが、犯罪に巻き込まれてしまうという無情さ、やりきれなさ。就職困難も、貧困も、子供を産み育てることも、老親を介護することも、災害に遭うことさえ、「自己責任」とされてしまうような、非情な社会の犠牲になるのは、いつも悪意なき無力な一個人であるという無念。ラストでは、フーダニット(誰が殺ったか)の興奮よりも、本書帯にも記載の「最も残酷で哀しい殺人動機」に、落涙を禁じ得ませんでした。