無芸大食・読書亡羊~美味しいものと本と旅~

美味しいものと本と旅が至福であり、生きがい。インスタ映えや星の数じゃなく、自分がいいと思えたものとの出会いを綴ってゆきたいです

死んでいない者(滝口悠生)~読後所感~

※あくまでも個人的な感想です。一部作品のあらすじやテーマに触れている箇所があります。
まだこの本を読まれていない方は、以下記述に目を通される際にはどうぞご留意ください。

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第154回芥川賞受賞作です。85歳で亡くなった男性の通夜に、親族が集まって来る場面から物語は始まります。故人の子供たち、孫たち、彼らの配偶者やひ孫、故人の友人、そしてその場にいない故人ゆかりの者たち…「死んでいない者」たちが、久しぶりに集って言葉をかわしつつ、それぞれの家族の歴史や記憶に思いを馳せてゆく、通夜を終えてから翌朝までの短いひとときを描いた作品です。

故人には5人の子供がおり、孫たちは10人、そして彼らの配偶者やその子供まで、次々に故人の縁者が登場するのですが、皆年の開きがあり、孫たちも上は36から下は12までと幅広く、その関係性を追ってゆくだけでも往生します。故人の末子の子供たちの名の読み方を、何度聞いても覚えられない親戚たち、目の前の人物が、故人の何にあたるか皆目わからず、「お前は故人の友人が「「お前さんは誰の息子?」と尋ねる、故人のゲートボール仲間の様子は、さもありなん。

しかし、最も戸惑いを覚えるのは、意図的に語り手が限定されておらず、次々に視点が移ろうという独特な手法が用いられていることです。加えて、現在と過去を行きつ戻りつつ様々な出来事が語られるので、視点や時間軸が定まらず、通夜の席という現実的な設定にも関わらず、どこか浮世離れした世界を見ているような、不思議な感覚に陥ります。

しかし、その視点が定められない捉えどころのなさ、前後したり交差したりと記憶の断片がぽつりぽつりと現れては消えてゆく様子は、綿々と続く血脈のもと、「家族」や「親族」という名でくくられた人々の、確固たるようで実は曖昧模糊とした、彼らのつながりそのもののようにも思えてきます。

通夜の席とはいうものの、彼らはメランコリックに故人に思いを馳せることは殆どありません。こっそり酒を飲み、酔っ払って倒れる未成年、寝ずの番の前に健康ランドでひとっ風呂浴びに行く大人たちなど、どこか緊張感に欠ける間延びした様子も、「親族の集まり」ならではの、独特な空気感を良く表していると思います。

それぞれが、自身や家族で抱える事情を思ったり、通夜に来られなかった者を思い出したり、通夜の場で思い巡らすことも様々なのですが、個々の思いは次第にぼんやりと混ざり合ってゆき、終いには、もう「死んで」しまって「いない者」と、まだ「死んで」は「いない者」との境界線さえ曖昧になってきます。(このダブルミーニングとも取れる「死んでいない者」というタイトルが、とても好きです)けれども、それぞれの思いが溶け合ってゆく先に、故人と、ひとところに集まった縁ある者たちの、確固たるつながりの確かさや、歴史の深さが逆に浮かび上がってくるような気がして、なんとも奇妙な感動を覚えました。

この作品の良さを上手く説明出来ないのですが、淡々と描かれた個々の思いを不思議な気持ちでなぞっていった先にあったのは、思いがけずじんわりと温かく、静かに心揺さぶられるものでした。芥川賞作品の中には、難解で共鳴しにくいものもあるのですが、本書はとても心に残る、忘れ難い一冊となりました。