無芸大食・読書亡羊~美味しいものと本と旅~

美味しいものと本と旅が至福であり、生きがい。インスタ映えや星の数じゃなく、自分がいいと思えたものとの出会いを綴ってゆきたいです

擬宝珠のある橋 髪結い伊三次捕物余話(宇江佐真理)~読後所感~

※あくまでも個人的な感想です。一部作品のあらすじやテーマに触れている箇所があります。
まだこの本を読まれていない方は、以下記述に目を通される際にはどうぞご留意ください。

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宇江佐真理さんの訃報を聞いてから読んだ前作「竈河岸」伊三次シリーズ最終話だと思っていましたが、先月発行された本作「擬宝珠のある橋」が本シリーズの最終巻となるのだそうです。文庫本書き下ろしとして既刊されている「月はだれのもの」を含む3編と、2014年2月の「心に吹く風」文庫刊行に寄せて宇江佐さんが綴られた「私の『髪結い伊三次捕物余話』」が収められています。「月はだれのもの」は文庫本刊行当時に読みましたが、伊三次の妻・お文の出生にまつわるエピソードや、龍之進が見習い同心時代を振り返る内容に、伊三次シリーズの来し方行く末に思いを馳せるような気分で読んだものです。
 
宇江佐さんの作品をとりわけ愛読してきたことは、前回「竈河岸」のレビューにも書きましたが、本作を読んで改めて感じたのは、私にとっての宇江佐作品は、己の心映えが試される試金石のような存在であるということです。宇江佐さんご自身は、「私の『髪結い伊三次捕物余話』」の文中で、「誰しも現実を直視して生きている」江戸時代の人々の、「与えられた仕事を全うする姿勢が清々し」さに「魅かれる」と綴っていらっしゃいますが、私は、宇江佐さんの作品に描かれた、江戸っ子気質の気風の良さ、正義感の強さや情の厚さを兼ね備えた登場人物たちに、強烈に魅かれている者です。

例えば、人としての矜持を高くもち、しっかりと前を向いて生きる伊三次たちの生き様の清々しさには普段なら素直に共感を覚えるのですが、自分が鬱屈した心持ちの時は、我が身を恥じ入る気持ちでいっぱいになります。ぐずぐずと埒もないことを考えている時に宇江佐さんの作品を読むと、頬を引っ叩かれた気持ちになります。優しさと厳しさを兼ね備えた江戸っ子たちの情のかけ方を読むにつけ、お節介と優しさの匙加減に迷った末何もしない自分の浅ましさを省みたり、作中に登場する心映えの悪しき者たち…癇を立てる者、楽に流れる者、妬み僻みに取りつかれた者たち…のどこかに自分を見つけ、どきっとすることもありました。

前回「竈河岸」のレビューでは、この先新たな宇江佐作品を読めない寂しさを嘆きましたが、本作を読んで、私はこの先ずっと、何度も宇江佐作品を読み返しながら生きてゆくのだという確信を持ちました。遺作となった未完作うめ婆行状記」も含め、宇江佐作品をいつまでも手元に置き、彼らに恥じないように顔を上げ、すっくと立って生きていきたいと思います。



宇江佐真理さんの他作品に関する読後所感
「竈河岸」