無芸大食・読書亡羊~美味しいものと本と旅~

美味しいものと本と旅が至福であり、生きがい。インスタ映えや星の数じゃなく、自分がいいと思えたものとの出会いを綴ってゆきたいです

坂の途中の家(角田光代)~読後所感~

※あくまでも個人的な感想です。一部作品のあらすじやテーマに触れている箇所があります。
まだこの本を読まれていない方は、以下記述に目を通される際にはどうぞご留意ください。

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4年前に2歳年上の夫と結婚し、もうすぐ3歳になる娘を授かった里沙子。結婚しても仕事は続けていたのですが、妊娠中の体調の辛さがきっかけで仕事と家の両立に不安を覚え、今は専業主婦として暮らしています。そんな里沙子のもとに、刑事裁判の裁判員候補に選ばれたという通知が届きます。

10日間続く公判に出席した彼女が担当したのは、同年代の母親が8ヶ月の乳幼児を虐待死させた事件。事件前後の記憶が曖昧だと主張する被疑者ですが、協力的な夫や義母がいながら、彼女が育児ノイローゼのようになってしまったのは何故なのか。関係者の供述を聞き、徐々に事件の全貌が見えてくるにつれ、里沙子は彼女の中に自分の姿を見ます。それは、里沙子自身も無意識のうちに蓋をしていた秘密であり、彼女が築いた家庭のなかに存在する闇でした。公判を終え、評議に臨んだ彼女が辿り着いた答えとは…。

主人公の里沙子が、刑事事件の被疑者に自分を投影して我が身を振り返る際の、掬い取るような心理描写の細かさに圧倒されました。ひとつボタンをかけ違えてしまえば果てしない闇に陥ってしまう恐怖は、誰もが体験する可能性を秘めているがゆえに現実味があり過ぎて、途中、息苦しさに何度も本を閉じて休憩したほどです。

自分の価値観をつゆほども疑わず、それを「ふつう」「常識」と言ってしまう人の、怖さ。縁あって家族となった一番身近な人が、相手の言い分を一切吟味することなく相手を押し黙らせてしまう横暴さと理不尽さ。もがけばもがくほど交差した糸はもつれ合い、それに疲弊した一方が諦めた時、「自分が何も考えなくとも、ものごとがただしく進んでいく」という心理状態、即ち「無意識の服従」にゆるやかに変化していくのは、ホラー以外の何物でもありません。

一点の曇りもない笑顔で、ナイフを心臓に突き立てるかの如し残酷さで、あっさりと相手を断じる心理的虐待は、本人ですら気付かない小さな悪意である場合もあるらこそ、恐ろしい。更に、他人が窺い知ることの出来ない「家族」という最小単位の社会の中で起きる閉じられた空間での出来事だからこそ、厄介なのでしょう。

いみじくも、同じ裁判員となった女性が「もしあそこに立たなければ、関係を説明しなければ、ごくふつうの、どこにでもあることかもしれない」と呟く場面が印象的でした。「幼児虐待」や「DV」あるいは「育児ノイローゼ」などの言葉の数々は、最近あまりにも目にし過ぎて事の深刻さに鈍感になっているきらいさえありますが、それらの問題の奥に潜む、閉じられた個々の闇の深さに、改めて思い馳せた一冊でした。

角田光代さんの作品は、毎回新刊が出て読むるたびに傑作だ!と感じるのですが、「八日目の蝉」「紙の月」、そして今回の「坂の途中の家」と、特にサスペンスの要素を含む作品は、真綿で首を絞められるようなじわじわとした恐怖、のたうちまわりたくなるような焦燥感に支配され、読み終えてからもドキドキが止まりません。また、投げかけられた問題が頭の中から離れず、強烈な印象の残る読後感に長らく支配されてしまいます。実は本書を読み終えたのは、半月以上も前なのですが、衝撃があまりにも強すぎて、今日までクールダウンしなくては感想を書くことが出来ませんでした。


紙の月
角田 光代
角川春樹事務所
2012-03-15

 
角田光代さんの他作品に関する読後所感
「私的読書録」
「世界は終わりそうにない」
「今日も一日きみを見てた」
「おまえじゃなきゃだめなんだ」