無芸大食・読書亡羊~美味しいものと本と旅~

美味しいものと本と旅が至福であり、生きがい。インスタ映えや星の数じゃなく、自分がいいと思えたものとの出会いを綴ってゆきたいです

サブマリン(伊坂幸太郎)~読後所感~

※あくまでも個人的な感想です。一部作品のあらすじやテーマに触れている箇所があります。
まだこの本を読まれていない方は、以下記述に目を通される際にはどうぞご留意ください。

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サブマリン
伊坂 幸太郎
2016-03-30


2004年に刊行された「チルドレン」の続編。家裁調査官・武藤が、異動先で再び「自由奔放」で型破りな先輩・陣内と同じ職場になり、ある事案を担当します。無免許運転で人身事故を起こした19歳のアルバイト少年・棚岡を調査する二人は、かつて交通事故で両親を亡くし、更に小学生の時には暴走車に撥ねられる友人の姿を目撃した棚岡の辛い過去を知ることに。果たして、棚岡の事故は単なる過失なのか、あるいは何かしらの意図をもって故意に引き起こされたものなのか…。
 
前作「チルドレン」は、軽微な犯罪の在宅事件や、離婚調停などを扱った短編でしたが、今回武藤と陣内が担当するのは、被害者死亡の交通事故という重い事件です。選挙権の18歳引き下げと共に、少年法の整合性問題が論議されることが多くなった昨今ですが、本書「サブマリン」でも、「罰を与えることよりも更生が目的」である少年法と、「いくら少年であっても、悪いことをしたのならば正しく償うべきだ」という両極の狭間で、罪を犯した少年たちの処分を決める調査をする武藤と陣内の姿が描かれています。

本書は、破天荒ぶりが相変わらずな陣内、陣内の長年の友人・永瀬や優子、試験観察中の未成年・小山田ら少々すっとぼけた登場人物たちと、くだらない会話の応酬や軽妙洒脱な文体によって、一見すると事件の深刻さが薄められているようにも感じます。しかし実は、少年犯罪の難しさとやるせなさ、人を殺めてしまう事件の背景にある「なぜ」の底のなさが重すぎて、独特な軽妙さなくしては読んでいられない、というのが事実です。

武藤も、少年法と照らし合わせて処遇を決める職業上の倫理観と、加害者に対する怒りを覚える人としての感情に加え、考慮すべき事情や家庭環境、故意か過失かの境界線なども含めて、さまざまな思いを抱え、悩みます。どうしてこんなことに、というたくさんの「なぜ」に対して「誰かに物申したい、少なくとも、問い合わせたい気分に」なり、「空を見上げて」「問い合わせ窓口、どこにあるんですか、と訊ねたくなる」武藤の独白が、その逡巡を端的に表しています。

しかし、その迷いこそが答えなのだと、私は思いました。少年犯罪に限りませんが、家庭事情や行動心理などでパターン化して、杓子定規で判じることが出来るほど、人を殺める行為は軽微な問題ではありません。どんな事情であれ、亡くなった人が生き返らないという、その取り返しのつかなさの前に、簡単に答えが出るような単純さが存在するとは思えません。ましてや、当事者以外の人間が簡単に断じられる類のものでもないと思います。武藤が途方にくれる様子は、当事者でない第三者罪と罰を論じる難しさを体現していますが、正解が見えない出口に行き着くまでのその苦悩の過程こそが、人が人を裁く上でで必要なプロセスなのだとも思いました。