無芸大食・読書亡羊~美味しいものと本と旅~

美味しいものと本と旅が至福であり、生きがい。インスタ映えや星の数じゃなく、自分がいいと思えたものとの出会いを綴ってゆきたいです

朝が来る(辻村深月)~読後所感~

※あくまでも個人的な感想です。一部作品のあらすじやテーマに触れている箇所があります。
まだこの本を読まれていない方は、以下記述に目を通される際にはどうぞご留意ください。

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武蔵小杉の高層マンションで、夫・清和と5歳になる息子の朝斗と家族3人で暮らす栗原佐都子。29歳で結婚して以来子供は自然に授かるものと考えていた栗原夫婦が、無精子症という判断を下され、長きに渡る不妊治療始め、紆余曲折を経た末に、ようやく手にした平和で穏やかな暮らしでした。しかし、ある日片倉と名乗る女性から「私の産んだ、子どもを返してほしい」という電話がかかってきます。意を決して彼女と会うことを決める清和と佐都子。その対面の背景には、両者の様々な苦悩や葛藤がありました。

物語は、朝斗と同じ幼稚園に通う、同じマンションの子供が朝斗に突き落とされて怪我をした、というトラブルから幕を開けます。「やっていない」という朝斗の言葉を信じつつ、近所付き合いも含んだ気まずさを感じる佐和子の姿に、ありがちなママ友トラブルを連想してしまいましたが、この事件はあくまでも序章。無事に解決を見たこのトラブルを遥かに凌駕する一本の電話は、朝斗の産みの親と名乗る片倉ひかりという女性による「もし私の存在をバラされたくなかったら、お金を用意しろ」という脅迫電話。そう、朝斗は養子縁組仲介団体を通じて、栗原夫妻のもとにやってきた養子だったのです。

大いにネタバレとなるのでこの後の展開は省略しますが、読み進めていくうちに何度も予想だにしない展開に驚かされます。そして、気がつきました。予想を裏切られるのは、読み手である私自身に先入観があるからなのだと。「育てられない子供は、どこまでも望まれない子供」という認識を持つ人、「家」や「血」の結びこそが一番という考え方が根強い日本に比べて、欧米はなんと合理的であることかと考える私でも、養子縁組をバラすことが脅迫になると考える女性の姿に何ら疑問を抱きませんでした。すなわち、養子を受け入れた養父母は、それを大っぴらにされることを厭うのではないかと、思い込んでいたのです。

本書では、精神的・肉体的・金銭的に大きな負担を強いられる不妊治療の過酷な現状や、養子縁組に関する実態や偏見、そして性知識が乏しいがゆえに子を宿してしまう未成年とその家族の葛藤など、子を成す事にまつわる様々な問題が、丹念に描かれています。子を持ちたいという人たちにとっての問題は様々ですが、中でも大きく立ちはだかっているのが「血のつながり」「命脈絶やさず家系を守る」という考え方のような気がします。本書の中でも、「血のつながりに甘えたからこそ」「大事なことを言葉で話し合ってこなかった」血のつながりゆえの「怠慢」を示唆する場面を描いています。

子も持たず、家というものへの帰属意識の薄い私ゆえ、思慮不足もありましょう。辛くとも不妊治療をして我が子を授かりたい、という考える人たちの気持ちも十分理解出来ます。しかし昨今、血のつながった親が我が子を手にかけるという報道ばかり目にしていると、血縁という言葉の元、疎まれ虐待され、死に追いやられる恐怖を感じるような家庭環境で、無垢な命が脅かされるくらいならば、心ある人たちのもとで暮らす幸せを選びとれる手段、あるいは、子を産めなかった人が、救った命を育む喜びを得て、尚且つそのことを誇れる手段があって当然だとも、思うのです。

本書は単に、辛い不妊治療などやめて養子縁組をしようと推奨している話でも、様々な事情によって子供を成せない人たちの苦悩を描いた作品でもありません。しかし、養子として迎えるために初めて朝斗と対面した瞬間、清和と佐都子が「朝が来た」と感じたような幸せな出会いや、序章のトラブルの最中、一貫して朝斗のことを信じる佐都子に体現されるような、血のつながりがなくとも固い信頼関係を築ける親子の有りようなど、血縁だけにこだわらない、多種多様な家族の幸せの形は、もっともっと受け入れられていいものではないでしょうか。本書は、肩をいからせて力説することなく、自然とそんな気持ちになるような、穏やかな読後感をもたらしてくれました。

辻村深月さんの他作品に関する読後所感
「盲目的な恋と友情」
「ハケンアニメ!」