無芸大食・読書亡羊~美味しいものと本と旅~

美味しいものと本と旅が至福であり、生きがい。インスタ映えや星の数じゃなく、自分がいいと思えたものとの出会いを綴ってゆきたいです

倒れるときは前のめり(有川浩)~読後所感~

※あくまでも個人的な感想です。一部作品のあらすじやテーマに触れている箇所があります。
まだこの本を読まれていない方は、以下記述に目を通される際にはどうぞご留意ください。

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有川浩さんの初エッセイ集です。2008年に有川さんの図書館戦争」シリーズに出会って以来、新刊が出るたびに拝読している私ですが、実は当初、ぐいぐいと引き込まれる面白さにストーリーテラーとしての凄さを感じつつも、登場人物たちのやや乱暴な文体やラブコメ風の展開、そしてアニメや漫画を想起させる装丁に抵抗を感じる部分もありました。有川浩さんという作家さんには、最後のページまで手を止められないくらい気になってしょうがないのに、素直に「好き」と言えない「気になるアイツ」的な、気恥ずかしいような奇妙な気持ちを長らく抱いていたのです。
 


その思いは、「フリーター、家を買う」「県庁おもてなし課あたりから払拭され、今は堂々と胸を張って(?)有川浩さんの著作が好き!という境地に至っているのですが、このエッセイ集で、有川さんがもともとライトノベルのジャンルからデビューされた作家さんだということを知って、やっとあの気恥ずかしさの理由が解明しました。
 



本を読むときに作者の来歴やジャンルを特に気にすることがなく、これまでは意識していなかったのですが、言われてみれば、特徴的な装丁や独特のセリフ回しなどは、かつて私も夢中になっていた新井素子さん氷室冴子さんらの作品に共通するものがありますね…。あれがライトノベルジャンルというくくりならば、私が感じていた気恥ずかしさの理由はきっと、"いい年したオトナにもなって、ティーンエイジャー(死語?)の頃に読んでいたYAジャンルの本に夢中になっている"、という自分の幼児性に対するものなのでしょう。

ご自身も「うっかり好きな作家として名を挙げると一部の高邁な読書家に鼻で笑われてしまう作家」で、「あんなのが好きなんて感性を疑うと言われてしまうらしい」と自虐的に書かれていますが、「嫌いなものを主張するときに躊躇しない人が多い」中、「好きなものを公言するのに勇気がいる」ことについて触れていらっしゃいますが、愛するものにこそ堂々と「好き!」と言える自分でいたいものだと、むしろ有川さんへの作品愛を強くしました。

さて本書は、色々な媒体で書かれたものがまとまってたエッセイ集ゆえ、有川さんの揺るぎない主張が重複して登場する箇所がありますが、個人的には特に、「『嫌い』と公言慎みたい」と「自粛は被災地を救わない」のエッセイに代表される意見が、印象に残りました。

ネット社会に於いては、ニュースやレビューサイトでも、とかくネガティブコメントばかりがクローズアップされ、好意的な反応や応援コメントが埋もれてしまいがちな傾向にあると感じることが多々あります。様々な視点があるのはより大きな気付きにもなりますし、冷静且つ慎重なネガティブコメントには一考の価値のあるものも多いのですが、意見とも言えない、勢いに任せて書いた単なる悪口の垂れ流しは、後味の悪さにげっそりしてしまいます。

負のパワーは、じわじわと長くダメージを与える上に、皮肉なことに波及効果も高いですよね。有川さんの、「本人を目の前にしても同じことが言えるか」という基準で、「自分の嫌いなものに世間的にも『ダメ』の烙印を押さねば気が済まない…というほど負の自意識に身を委ねたくはない」という主張には、私も全面的に賛同する者です。

また、東日本大震災直後に書かれたエッセイでは、被災地外の人は感傷的な自粛よりも、経済を回していくべきという主張されています。被災地に心を痛めるあまり罪悪感を覚えるよりも「無事な地域の人間はきちんと自分の生活を回し、経済を回すことが何よりも復興支援である」と、阪神・淡路大震災を経験された方ならではの肌感覚としての実感だそうです。奇しくも本書を手に取ったのは、熊本を中心とする九州地震後。被災地の人が「帰りたいと思っている日常は、決して自粛や不謹慎論でがんじがらめになった窮屈なものではないはずだ」という言葉が、非常に印象に残りました。

復興までの長丁場を乗り越えるために、気持ちのゆとりは大切だとしたうえで、「張り詰めた気持ちを解きほぐすために、ありとあらゆるエンターテイメントは有効である」と書かれている有川さん。一連の作品を読んでいても、マーケティング感覚・経済感覚に優れた、とても冷静な職業作家さんでもあると感じていましたが、有事の時に存在意義を問われがちなエンターテイメントについて、それを提供する側である立場からこのような意見を述べられる有川さんの、小説家としての矜持を見た思いがしました。